五月二十三日 生きている

今日考えたこと

 

「ある女の子」

ある女の子が精神的に僕に依存したがっている。

嫌悪感があるけれど、僕は大人になりつつあるので、やさしくする。

彼女は不安でいっぱいである。

将来のこと、自分が誰にも愛されないのではないかという恐怖、見捨てられることへの恐怖、一人暮らしの寂しさ、故郷を離れて東京で暮らしていることの寂しさ。

そういったものが彼女の中でぐるぐる回って、性格を内向的にしている。

そしてそのぐるぐるのはけ口が僕であり、彼女は僕のことだけを見て生きようとしている。

僕はそれが少しいやに感じる。ほかのところを見て生きてほしい。

不安定な人間(僕)を心の支えにするんじゃなくて、もっと大きなものに向かって、自分の足で立ってほしい。

でも僕ができることはなにもなくて、ただ、彼女を安心させることこそが必要なのだと思う。だから会いたいといわれれば会うし、いっぱいかわいがってあげる。愛を注いで、それで、もう愛なんていらないという風になったとき、彼女は未来に向かって進めるような気がする。

そうなるまで、僕は彼女に愛を注ぎ続けようと思った。自分の気持ちとかはいったんおいておいて、彼女のために、そうする。

 

かなり面倒だけれど、心に余裕のある僕にしかできないし、そうやってなんともない顔で見返りを求めずに人に優しくできる人間というのは、尊いと思うからだ。

本当に彼女からの見返りはない。別にそこまでやさしくしなくてもセックスはできるから、性欲からでもない。

なにか僕にメリットがあるとしたら、自分が優しい人間になれるという自己満足である。

 

「生きる意味」

その日その日の目標を達成していくのが、健康的な生き方であると思う。

これはやりたくないとか、本当に自分がしたいことではないとか、そういうことをいっていると道からどんどん逸れていく。

その日にやるべきことというのは神様が与えた試練なのだから、それをやらないで自己流でやっていても、前に進むことができないから、心を無にして流れに身を任せ、運命の導くままに生きるのがいいような気がする。

それをちゃんとやっていれば、いつかご褒美が神様から与えられる。

21年間生きてきて、そんなルールが世界にはあるんじゃないかという考えが芽生えた。

与えられた仕事をこなすのが、一番神様が喜ぶことだ。

逃げる人間には何も与えられない。

一考の価値ある思想だと思う。

 

「今日」

今日はブラックジャックの八巻と九巻を読んだ。

手塚治虫はすごい。

このまえはだしのゲンを一気読みしたけど、あれもすごい。

戦争が身近にあった人たちは、すごいものを作れる。

命に向き合わされるからだと思う。

ならば僕も自分の人生の不条理から逃げてはならないと思う。

向き合えば何かを得られる。逃げれば失う。

逃げてもいいんだよ、っていうのは、悪魔の囁きであり、人間をだめにする。

だめっていうのはつまり、傍観者であり、2chに文句ばっかり書いたり、twitterで他人の成功を見てうらやんでばかりいるひと。

逃げるとそういうひとにしかなれない。僕はそれはいやだとおもう。

あなたはどうですか?

 

風が吹く 帆を進めようとびゅうびゅうと 逃せば舟はくるくる回る

(大椿野渡)